東京高等裁判所 昭和29年(行ナ)32号 判決 1955年1月25日
原告 北陽石鹸株式会社
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は特許庁が昭和二十八年抗告審判第四二〇号事件について昭和二十九年四月二十六日になした審決を取消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求の原因として、
(一) 訴外北畑徳丸は各文字が同一書体であつて略同大のハパヤの片仮名を横書して成る商標につき第四類石鹸を指定商品として昭和二十七年二月四日特許庁に対し商標登録出願をし、昭和二十八年二月十一日に拒絶査定を受けたところ、原告は同年三月五日北畑徳丸から右登録出願より生じた権利を営業と共に譲受け、同月十七日に特許庁に対し右出願人名義変更届をした上抗告審判の請求をし、同事件は特許庁昭和二十八年抗告審判第四二〇号事件として審理された上、昭和二十九年四月二十六日右抗告審判の請求は成り立たない旨の審決がなされ、その審決書謄本は同年五月十日原告に送達された。
審決はその理由として本願商標と指定商品を同じくする既存の登録第二一三三五〇号商標を引用し本願商標を引用商標と比較して「両商標を比照するに両商標は外観上及び観念上に於ては前者は後者の類似範囲を脱する差異があるとしても、称呼上よりみるときは前者は『ハパヤ』、後者は『パツパヤ』と称呼するものであること明かであるから、いずれの称呼も三音より成り第二音以下は同一で、差異は頭音で、発音上近似するものであるとされている清音『ハ』と半濁促音『パツ』の微差に過ぎないと謂うを相当とするから、全体の称呼からすれば極めて相紛れるものと謂うべく、この点で両商標は取引上誤認混淆を生ずるものと謂わざるを得ない。且商標の指定商品に於ては同一であること明かであるから、従つて本願商標は商標法第二条第一項第九号に該当し、その登録は拒否せらるべきものと認める」としている。
(二) 然しながら審決が両商標が称呼上相紛わしく取引上誤認混淆を生ずる虞れがあると断定したのは次の理由により誤つている。
即ち
(イ) 両商標は共にその商標構成中語尾に「パヤ」の音を有する点に於ては同一であるが、語頭に於て本願商標は「ハ」の音を、引用商標は「パツ」の音を有することが明かであつて、「ハ」の音は弱音であり、半濁音なる「パ」の音は強音であり、「ハ」の音を発するときとは口内の形態を全く異にしている。従つて「ハ」の音と「パ」の音とが相違しているばかりでなく、更に「パ」の音に「ツ」の音を加えた「パツ」の音は「ハ」の音とは全く類似性を有していない。而して「ハ」に「パヤ」を加えた本願商標に於ては弱音「ハ」の次に強音「パ」が接続している為第二字なる「パ」は非常に強く感受されるが、引用商標に於ては語頭の「パツ」の音が非常に強い為第三字「パ」の強音も語頭の「パツ」との接続関係に於て弱短音に変化している。このような理由により「ハパヤ」の称呼は引用商標の「パツパヤ」の称呼と全然類似性がなく、従つて両商標は非類似のものである。
(ロ) 清音と半濁促音(或は濁促音)との差があれば誤認混淆を生ぜずに明瞭に区別して使用されている単語の実例が存するが、之を挙げれば
1 ハチとパツチ(蜂と股引)
2 ハトとパツト(鳩と軽打)
3 ヒトとピツト(人とかめ)
4 ハスとパツス(蓮と通過)
5 ヒチとピツチ(七と調子)
6 ハヂとバツヂ(恥と胸の飾品)
7 ハクとバツク(箔と背景)
8 ハコとバツコ(箱と跋扈)
9 カコとガツコ(過去と学校)
10 コトとゴツト(琴と神)
11 タクとダツク(宅と家鴨)
12 タコとダツコ(蛸と抱く)
13 テキとデツキ(敵と舟の甲板)
14 ハシとバツシ(橋と末子)
15 ハタとバツタ(旗とバツタと呼ぶ昆虫)
等である。更に同一文字であつてもアクセントの存在場所によつては決して混同されないで区別して使用されている単語も多数存するが、その一部を例示すれば、
1 クモ(雲)とクモ(蜘蛛)
2 カマ(釜)とカマ(鎌)
3 ハシ(橋)とハシ(端)ハシ(箸)
4 フクロ(袋)とフクロ(梟)
5 ニシ(西)とニシ(螺)
6 ノミ(蚤)とノミ(鑿)
7 キリ(桐)とキリ(錐)
8 ツチ(土)とツチ(槌)
9 ハナ(花)とハナ(鼻)
10 ハ(葉)とハ(歯)
11 ハイ(肺)とハイ(灰)
12 ハス(蓮)とハス([魚時])
13 バス(乗合自動車)とバス(沐浴)
14 スミ(墨)とスミ(隅)
15 カミ(神)とカミ(紙)
等がある。以上例示したように語尾が同一音であつても語頭に於て清音と半濁促音或は清音と濁促音との差があれば全体の語として充分区別され、誤認混淆を生じたことなく又その虞れも生ずることはなく、更に同一文字であつてもアクセントの所在如何によつて混淆されることなく使用されており且将来も混淆される虞れのない実例の存すること以上の通りであるのに、審決がこの事実を無視して「ハパヤ」の称呼が、「パツパヤ」の称呼と類似し誤認混淆を生ずるものとしたのは誤つている。
(ハ) 審決は本願商標と引用登録商標との発音の類否のみを称呼類否の判断の基準としているけれども、称呼の類否の判断に於ていわゆる「普通の注意力を以てしても類似しているとするにはその類似する事情を明かにしなければならない(大審院昭和十六年(オ)第一〇五七号同年十二月十六日判決、同昭和十五年(オ)第五六四号同年十一月六日判決、同昭和十六年(オ)第九四一号同年十二月十六日判決参照)のに、右類似する事情については一言も触れていないから審決には審理不尽理由不備の違法がある。
(三) 以上のように両商標はその称呼に於て相類似していないが、猶外観及び観念に於ても相違している。即ち、引用登録商標の最初の片仮名「パ」の字の「。」は明確に且大きく表わされてあり、この「。」を見落すことは普通視力の人に於ては思考できないところであり、「パ」の字の次の「ツ」の片仮名は幾分か他の三字に比較して小さく書かれてあるが、その小ささは「ほんのこころもち小さい」と言う程度であつて、この字を無視することは困難である。故に両商標は共に語尾が「パヤ」の片仮名になつているけれども、本願商標の語頭の「ハ」の一字に対する引用商標の語頭「パツ」の二字の為に両商標を全体として離隔的に観察した場合その外観が全然相違しており、後者は前者に比して字数も多く、之を一見した場合全体として非常に長いと言う印象を受けるのであり、又その第三字目の、「パ」と次の「ヤ」の文字との間には縦書してある関係上相当の空白があるのでこの二字の接続関係が観者に爽快な感じを与えるに対し、前者は「ハパヤ」の三字より成り且横書してある為商標全体狭苦しい感じがあり、特に第二字「パ」と語尾の、「ヤ」との関聯に於て「パ」の字の「。」が大きく、且「パ」と「ヤ」の間の部分の中央上位に位置しているので、両字の間隙に爽快と言う感じが全くない。従つて両商標は外観上誤認混淆を来すことはない。
又観念上に於ても両商標共新造語である関係上その出願の際に新しく出来た称呼と同様の観念即ち本願商標からは「ハパヤ」、引用商標からは「パツパヤ」の観念を夫々生ずるものであるから、両商標は観念上も非類似であつて誤認混淆を来す恐れはない。
(四) 更に引用登録商標の権利者は東京都千代田区神田神保町三丁目一番地株式会社杉田商店であり、右株式会社杉田商店は現在清算中であるが、右会社のような法人が現在清算中であることは営業をしていないことの証左であり、営業していない以上常識から考えて当然引用登録商標は使用されていないものと認むべきである。従つて仮に両商標に僅少の程度の類似性があるとしても両者が誤認混淆される恐れはないから本願商標は登録されるべきである。
よつて原告は審決の取消を求める為本訴に及んだと述べた。
(立証省略)
被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、
原告の請求原因(一)の事実を認める。
同(二)の主張に対し
本願商標は同じ大きさの片仮名「ハパヤ」の文字をゴシツク体風の書体で左横書して成るもの、又引用登録商標は第二文字たる片仮名「ツ」は促音とし、他の片仮名の三文字は同じ大きさとして毛筆体で「パツパヤ」と縦書して成るものであり、従つて本願商標は「ハパヤ」と、又引用商標は「パツパヤ」と夫々称呼するものであることは疑の余地なく、之によれば両商標の称呼が三音からできていることが明らかであつて、第二音以下即ち「パヤ」はその称呼アクセント共に同一であり、第一音の「ハ」と「パツ」とを比較すれば原告主張のように「ハ」音が弱音であつて、半濁音なる「パ」音は強音であり、「ハ」音を発する口内の形態と、「パ」音を発する口内の形態とは相違しているけれども、「ハ」音と「パ」音とは五十音配列発音上近似する発音に係るものであること常識上明らかであり、「パ」音に「ツ」音を附けても発音上大きな変化を生ずるものでないことが明白であるから、両商標の称呼上の右のような相違は全体として見れば微差に過ぎないものであつて、取引上両商標は誤認混淆を来たす恐れがある。
原告は清音と半濁促音(或は濁促音)との差があれば誤認混淆を生じないで明瞭に区別して使用されている単語例を挙げているけれども、之等の例はいずれも明確な観念が容易に想起されるものばかりであつて、前記両商標のように特定した意味を持つていない造語と認められるものとは全然異なるから、之等は本件の審理上に採択されるべき根拠とはならない。尚審決には原告主張の両商標の類似する事情が充分理解できるよう開示されてあるから原告主張のような審理不尽理由不備の違法はない。
請求原因の(三)の主張に対し、
両商標の構成が前記の通りであるから、本願商標に於ては片仮名を横書するに対し引用登録商標に於ては片仮名を縦書し又前者の語頭が「ハ」の一字であるに対し後者の語頭が「パツ」の文字となつている差異があるけれども、両商標の片仮名は略々同一書体で記されてあり、前者中には後者と同一の片仮名二字と破裂音符があるかないかの点で後者のものと異るにすぎない片仮名一字が存するに過ぎず、両商標を離隔的に観察すれば両者は外観上誤認混淆を生ずる恐れあるものと言うべきである。又両商標はいずれも無意味の造語から成つており、前記のように称呼が類似し外観も彼此相紛わしい関係上観念に於ても両者は彼此相紛れる恐れがあるものと認むべきであり、従つて両商標は外観及び観念上も相類似していると言うべきである。
請求原因(四)の主張に対し、
引用登録商標の権利者が原告主張の株式会社杉田商店であり同会社が現在清算中であることは認めるけれども右清算が未だ結了していないことは明らかであつて、且特許庁備付の商標原簿によつても引用商標が右会社所有として現存している以上同会社が清算中であつてもその結了前に於ては清算の目的の範囲内に於て猶営業を継続しているものと解さなければならないから、従つて引用登録商標はその指定商品について現に使用されているものと認めなければならない。故に本願商標が引用商標に類似していること前記の通りであり、且指定商品に於ても互に牴触している以上、両者は取引上誤認混淆を来す恐れがあると述べた。
(立証省略)
理由
原告の請求原因事実中(一)の事実は被告の認めるところである。
よつて本願商標と審決の引用登録商標の称呼上の類似につき審案するに、本願商標を構成する「ハパヤ」の文字と引用商標を構成する「パツパヤ」の文字は共にその発音上三音から成るものと言うべく、第二音以下の「パヤ」は両商標共通であるが、前者の語頭の第一音たる清音「ハ」と後者のそれである半濁促音「パツ」とは原告主張の通り強弱の違いがあつて音感上若干の相違があるけれども、商標の称呼上の類否の判断に於ても両商標を並列して交互に発音して相紛らわしいか否かを直接対比して決定すべきではなく、時と所とを異にして或る商品に使用する商標の称呼が曾て他の同一又は類似の商品に使用された商標の称呼から受けた印象と紛わしく、それが為両商品の混同誤認を生ずる恐れがあるか否かによつて決定しなければならない。よつてこの見地に立つて考えると前記両商標は共通音の「パヤ」が最も強く感受され、全体としての音調は著しく似通つているから、両商標の称呼から一般の受ける印象の区別は必ずしも明確ではなく、両者互に紛らわしいものがあると認めざるを得ない。従つて両商標はその語頭音に於て以上のような相違があつても、全体の称呼に於て互に紛らわしく、商品の混同誤認を生ぜしめる恐れがあるものと認むべきであるから両商標は称呼上類似のものと言わなければならない。
原告は清音と半濁促音(或は濁促音)との差があれば誤認混淆を来すことのない事例及び同一文字でもアクセントの存在場所によつては混同されることがない事例として片仮名による単語の比較例を列挙しているけれども、その中前者の事例として挙げられたものはその称呼から観念が直ちに想起される程度に称呼と観念が結合しているものと認められるから比較せられる単語間の区別が明確な場合と言うべきであるに対し、本件の「ハパヤ」と「パツパヤ」のような意味のない新造語では右のような称呼と観念との結合はあり得ないから、之を前記の事例と同視して当然に両者の誤認混淆を来す恐れがないとすることはできない。又後者の事例に於てはアクセントの存在個所が明示されてない限り単に文字自体だけが表示してあるのでは当然に混同誤認を来すものと認めざるを得ない。従つて以上の事例は之を以て本願商標と引用商標とが類似していないとする根拠とするに足りない。
尚引用登録商標の権利者が東京都千代田区神田神保町三丁目一番地株式会社杉田商店であり、同会社が現在清算中であることは当事者間に争のないところであるが、清算会社も清算の目的の範囲内で存続することは勿論であつて、右清算中に原告会社がその清算活動をするに当り右引用登録商標を使用する事がないとはし難いから、同会社が清算中なるが故に営業をしておらず従つて当然に引用登録商標を使用していないから同商標と本願商標との誤認混淆を来たす恐れがないとする原告の主張も又到底認容することができない。
然らば本願商標が之と指定商品を同じくする既存の引用登録商標と称呼上相類似している以上両商標が外観及び観念上相類似しているか否かに付判断をする迄もなく本件商標登録出願は許容すべからざるものであつて、審決が之を排斥したのは相当であり、原告は以上の外審決の説く所に対し種々非難しているけれども、叙上の通り本願商標が引用登録商標と称呼上相類似しているが故に本件登録出願を拒絶すべきものとする以上、原告の右主張に対する判断はすべて不必要であるから之を省略し、民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決した。
(裁判官 小堀保 原増司 高井常太郎)